20年以上も前の思い出です。1980年代後半にカリフォルニア州、1990年代半ばにテキサス州と2度夫の仕事のため数年間ずつアメリカに赴任しました。
カリフォルニアで私が最初に所有した車はホンダのアコードでした。夫は日野のトラックに乗っていました。私の実家はずっとトヨタ車に乗っていたので、私にとっては初めてのトヨタ以外の車でしたが、アコードは私が慣れ親しんでいる車というものの常識の範囲内の車でした。時々夫の日野のトラックに乗せてもらうと、応接間のソファに座っているような、ゴージャスなゆったりとした動く空間という感じがして感覚の違いというか、車に求めているものの違いを感じました。ただし、夫が言うには、リスポンスが悪くて運転はしにくいとのことでした。日本車に乗っているとアメリカ車なんて運転していられないのだそうです。
当時60代のアメリカ人の隣人の車はもう30年以上も乗っているというフォードの大きなステーションワゴンでしたが、子供さんが小さな頃から毎年山の別荘や旅行にずっと使ってきたということでした。毎日の生活に街中でも乗っていましたが、とにかく物がたくさん積めて長時間のドライブにも対応できる動く部屋といった感覚で所有していたのでしょう。
当時80代の別の隣人は、5歳くらいの時の写真を見せてくれましたが、おしゃれをして教会に出かける時の家の前で撮った写真には、いかにもクラッシクカーといった感じの黒い車が写っていました。1900年くらいに一般の人がこんな贅沢な暮らしをしていたわけですが、当時から車の中で過ごす時間を特別な時間として楽しんでいたのだろうと感じました。
1993年に再びアメリカに暮らすことになり、選んだ車はやはり日本車のカムリステーションワゴンでした。子供も5、6人乗せられるし、乗りやすいし気に入っていました。テキサスだったので、とにかく何でも広い大きいという環境だったので、やはり周りのアメリカ人は大きな車に乗っていました。特に大きなサバーバンという車は、私が知る中では一般の人が乗る車としては最大ではないかと思います。乗ったことはありませんが、運転するには体力がいると思うし、子供のころからこんな車に乗っていると、少々のことには動じない性格になるような気がします。とにかく大きい車です。
今はアメリカ人も燃費を考えるようになったようですが、私が知る20世紀後期のアメリカ人は、大きくて家が動いているようなのんびりとした車が当然で、車にそのような役割を求めてきたように思います。世界中が車を作るようになり、無駄のない燃費のいい車が人気がありますが、そういう意味では無駄だらけの20世紀のアメリカ車もとっても魅力的だなと懐かしく思い出します。
やっぱりアメリカのような広い土地に住むならトラックに乗ったほうが楽しいですね。